明治元年、初代徳兵衛によって「本家田毎」は京都三条の地に開店いたしました。現在も同じ場所、新京極通と三条通の丁字路正面に本店がございます。
   京都きっての歓楽街である新京極通は、明治五年、明治天皇の東京遷都などにより意気消沈した京都の民衆を活気づけるため、寺院がたち並ぶ寺町を切り開いてつくられました。
   現在も多くの観光客や買い物客で賑わいある通りです。また、江戸時代に東海道・西の起点として栄えた三条通は、明治時代から大正時代にかけ金融の街として発展をとげました。今も残る石や赤レンガの近代建築は、その時代の名残なのでしょう。「歓楽街」と「金融街」が合流する場という、絶好の「地の利」を得た「田毎」の店頭は、荷馬車や人力車で常に賑わい、そのようすから「車うどん」と異名をとるほどの繁盛ぶりだったようです。「田毎」という屋号の由来ですが、信州更科の「田毎の月」と呼ばれる光景と関係があります。月が出て、山間にある小さな棚田の一つひとつに、月の影が映っているようすを「田毎の月」といいます。この名所を、松尾芭蕉や小林一茶など多くの俳人が歌句の題材としています。また、江戸時代の浮世絵師、安藤広重は名所図会に「更科田毎の月」を描きました。初代徳兵衛もまた、信州で見た「田毎の月」の美しさに深く感銘を受けました。信州は昔ながらのそばの産地ということもあり、そばの味わいを田毎の月の姿にこめて、屋号を「田毎」といたしました。

歌川広重作:六十余州名所図会 信濃 更科田毎月鐘台山宏